五のことづて

大河ドラマのロケ地になった、中世の山城「高根城」を訪ねる。

五穀屋のアワを育てている水窪(みさくぼ)は、縄文時代の遺跡が確認されている他、戦国時代には国境の要所として知られていた、古来からの歴史ある地域。今日は、そんな水窪に存在する史跡「高根城」をご紹介いたします。

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水窪町地頭方にある「高根城」は、久頭合城・久頭郷城の別名を持つ遠江最北端に位置する山城で、標高420m、比高150mの通称三角山の山頂部に築かれています。
南北朝時代、後醍醐天皇の孫である伊良(ゆきよし)親王を守るためにこの地の豪族である奥山金吾正定則が応永21年(1414年)に築いたといわれ、その後戦国時代には武田氏の所有となり、山城として大改修が行われました。

大河ドラマのロケ地になった、中世の山城「高根城」を訪ねる。

城址からは今でも水窪町中心部と北遠江〜南信濃を結ぶ主要道路を見下ろすことができ、信遠国境警備の目的で使用されたことが伺えます。

平成5年に高根城を中世の城として復元整備するべく発掘調査が行われたため、現在では本曲輪部分に井楼櫓(せいろうやぐら)、城門などが復元されています。
最近では大河ドラマ井伊直虎で撮影に使用されるなど、ロケ地としても注目を集めているこの城は、水窪の観光スポットとしても人気の場所。
今回は直接訪れ、その佇まいをお伝えいたします。


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山のふもとから遊歩道を進み、歩くこと15分ほどで山の頂上へ。
ルートは主に2つありますが、今回は南側から北上するルートを通りました。

大河ドラマのロケ地になった、中世の山城「高根城」を訪ねる。

山頂付近に到着すると目の前に柵が見えてきました。

大河ドラマのロケ地になった、中世の山城「高根城」を訪ねる。

「城」というと天守閣のある荘厳なお城を想像される方も多いとは思いますが、この高根城は軍事上の拠点としての役割を担った“山城”であるため、その造りはいたってシンプル。
三の曲輪(さんのくるわ)・二の曲輪(にのくるわ)・本曲輪(ほんくるわ)から成り、各曲輪の間には敵の侵入を防ぐ堀切(ほりきり)が設けられているのが特徴です。城の東西にある崖地形を生かして巧みに堀切を取り入れたコンパクトで機能的な姿は、まさに戦国時代の山城の風情があり、戦国ファンにはたまらないのだそうです。

曲輪とは、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称で、郭とも書きます。
その名前の通り、本曲輪が主要部となっていますが、南側のルートからは三の曲輪側に出るため、まだ見えていないようです。

三の曲輪に向かうために歩道を進んでいくと、土が盛られた小山のようなものが見えてきました。
これが「堀切」です。

大河ドラマのロケ地になった、中世の山城「高根城」を訪ねる。

三の曲輪の南側の堀切は二重になっており、城内と城外を区切っています。
曲輪側の堀切は曲輪を囲む形のU字型をしていて、城外側の堀切は尾根を完全に遮断するように一直線に掘られました。
それぞれ、最深部は8mと9mもの深さがあり、城を攻める敵兵は、この堀を越えなければならなかったことを考えると、高根城の防備の堅牢さが伺えます。現在は見学用に設置された木の橋があり、二重堀切は簡単に越えることができますが、当時はひとつ越えるだけでも大変な労力がかかったことでしょう。

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さて、橋を渡り二重堀切を越えると、三の曲輪に到着します。
現在は小高い場所にある、何もない開けた場所ですが、当時は城外から侵入してきた敵兵を迎え討つ要所だったのでしょう。
二重堀切を越えて迫ってくる敵兵にここから睨みをきかせていたのでしょうか。
城を守るため、曲輪の上から攻撃をしかけることもあったのかもしれません。



三の曲輪から二の曲輪に向かう途中、またしても堀切が表れました。

大河ドラマのロケ地になった、中世の山城「高根城」を訪ねる。

こちらは、先ほどの二重堀切とは異なり、堀切はひとつしかありません。

形と造り方も異なり、逆台形の形で、岩盤を45度という急角度に削って仕上げられています。
専門家の調査の結果、「当時の専門集団によって造られたのではないか」と言われているほど、緻密な造りになっているそうです。
まさに、時代を越えて現代に残る匠の技ですね。



このような堀切は敵の侵入を防ぐには良いのですが、城内の移動には不便なもの。
城内道として、二の曲輪の東側には土橋が造られました。

現在は見学のために通る道として、当時の城内道の一部が再現され、通ることができるようになっています。

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土橋を進んでいくと、目の前にほぼ直角に立てられた梯子が表れました。

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梯子を上った一段高いところが二の曲輪で、上ると城門を眼下に見下ろし、その奥には水窪の町を一望することができます。

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城門は当時の様子を再現し、二の曲輪と本曲輪の間に建てられています。
想像していたよりも小さくこじんまりとした門ですが、「城門を目指してきた敵兵をしとめるのに恰好の場所」に位置しているのだそうです。

この風景、ドラマをご覧になっている方はこの場所、あの場面だ!とお分かりになる方も多いのではないでしょうか?
そう、井伊直親(幼き日の亀之丞)が笛を吹いていた場面はちょうどこの場所で撮影されたのです。

さらに、この城門の北側にある石積遺構は、静岡県内で唯一確認された武田氏の石積という貴重なもの。
門そのものはあまり目立つものではないのですが、ドラマ好きにも、歴史好きにもおすすめのポイントなので、高根城を訪れた際にはぜひご覧になってください。

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城門を過ぎ、階段を上って行くといよいよ本曲輪へ。
高根城主要部である本曲輪にはかつて、城門、主殿、櫓、倉庫などがあったとされています。

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主殿は復元されておらず、現在は管理施設となっていますが、櫓や塀などは以前の姿が再現されています。
まさに戦国時代の山城の風情が、現代に蘇ったかのようです。

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階段を上って本曲輪へ入ると、ひときわ高くそびえ立つ「井楼櫓(せいろうやぐら)」が目に入ります。
これは永禄末年〜天正4年(1569〜76年)頃に武田信玄・勝頼によって建てられた物見櫓を復元したものです。
この場所から信遠国境に目を光らせていた、武田氏の当時の様子に想いを馳せることができますね。

元亀3年(1572年)の頃、武田信玄は2万5千の大軍を率いて青崩(あおがれ)峠を越して上洛の途上、三方原で徳川家康と戦い勝利をおさめていますが、この時すでに高根城は武田の手が加わり遠江侵攻を目指す武田軍の拠点として大改修が行われていたと考えられています。
武田信玄もこの山城を、拠点のひとつとして重要視していたのかもしれませんね。


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いかがでしたか?
今回は、水窪に残る中世の山城「高根城」についてお伝えいたしました。

城を建てた奥山氏と、それを手中に納め利用した武田氏、両方の遺構を残す貴重な史跡として現代に残り、かつての姿を現代に蘇らせている「高根城」は、水窪に行ったら立ち寄ってみたいスポットのひとつ。
ご興味がおありの方は、一度訪れてみてはいかがでしょうか?