五のことづて

古の交易の様子を垣間見る「塩の道」は水窪の史跡のひとつ。

8月に入り蝉の声があちこちで聞こえる季節になりましたが、いかがお過ごしでしょうか?
暦の上ではもうすぐ立秋とはいえ、まだまだ夏本番の暑さが続きますね。
気温が高いときには『水分補給』とよく言われますが、汗をかいて無くなってしまった「塩分」の補給をすることも大切。

古の交易の様子を垣間見る「塩の道」は水窪の史跡のひとつ。

最近では塩分の摂り過ぎなどが取り沙汰されていますが、もともとは「塩」、つまり“ミネラル”は人間にとって無くてはならないもの。
動物が生きて行くためには、体内のミネラル濃度を一定に保つ必要があり、発汗で体外に排出されたミネラル分を補給する必要があります。古代には塩の流通のない山中で暮らす人々は、動物の血液から摂取していたとも言われています。

古の交易の様子を垣間見る「塩の道」は水窪の史跡のひとつ。

さらに、海で採れた「塩」は長期保存が可能で、様々な料理の味付け、そして何より冷蔵庫のない時代に保存食を作るのにも不可欠な存在として、今日まで日本人の生命と食生活を支えてきた立役者。
特に山の中で暮らしている人々にとっては海で採れた塩は大変貴重なもので、海から山中まで、塩を運ぶための道が整備されたのです。

そう、この道こそが「塩の道」。

かつては塩を作っている沿岸部から、内陸部に向かう塩の道が全国にたくさんありました。
代表的な塩の道のひとつとして静岡県牧之原市から北上し、水窪を通って新潟県糸魚川市へと続く道が知られています。太平洋側と日本海側の道がつながり、日本を横断するほどに長い街道になったほど「塩」が重要なものだったのです。

水窪の町中にはかつての「塩の道」の跡を見ることができ、水窪の観光スポットとして知られています。
今回は実際に「塩の道」を訪れて歩いてみました。

古の交易の様子を垣間見る「塩の道」は水窪の史跡のひとつ。

こちらが塩の道。
石畳や階段で整備されてはいますが、道のりはかつてのままだそうです。

古の交易の様子を垣間見る「塩の道」は水窪の史跡のひとつ。

看板によると、かつて水窪で林業や養蚕が盛んだった時期には、この道の両脇に「芸者置屋」があったとのこと。
塩の道を行き交う人々の羽を休める場所として、宿場の役割をしていたのでしょう。

古の交易の様子を垣間見る「塩の道」は水窪の史跡のひとつ。

登る前は普通に見えましたが、実際に登ってみるとかなり急な階段です。

この斜面に立ち並ぶ家々は、かつての置屋のなごりのためか、どこか風情のある様子。
ちょうど水まきをしていた住民の方は「夏は建物が影になって、風が吹き抜けるから涼しいのよ」と仰っていました。
塩の道に吹き抜ける風を感じていたかつての行商人たちに思いを馳せながら、一歩一歩ゆっくりと登っていきます。


少し登ったところで振り返ると、正面に見える山の頂上に建造物があるのが見えました。

古の交易の様子を垣間見る「塩の道」は水窪の史跡のひとつ。

あちらは先日ご紹介した「高根城」。
街道を見張る拠点として町を見下ろす高根城ですが、逆に町からも見ることができるのです。
特に、塩の道のように高台になっているところだと、障害物が無いためその姿をよく見ることができますよ。

▼過去の記事はこちら
http://gokokuya.jp/blog/detail.php?product_id=703

古の交易の様子を垣間見る「塩の道」は水窪の史跡のひとつ。

階段を登り切ると、さきほどよりは緩やかな斜面になりました。
何度か曲がりながら少しずつ登っていくのは、地形に合わせて作った道だからこそ。
曲がり角ひとつひとつに、歴史を感じますね。

古の交易の様子を垣間見る「塩の道」は水窪の史跡のひとつ。

塩の道沿いの壁や柵には、旅人が履いた「わらじ」や「塩を運ぶ人々」などかつての交易の様子を模した意匠が施され、馬や人、荷車が行き交った様子が描かれています。

この塩の道、道幅はそれほど広くありません。
当時も同じ道幅であったとすると、通りすがる人々が顔を合わせたり、荷物を運ぶのに道を譲り合ったりすることもあったのかもしれませんね。

古の交易の様子を垣間見る「塩の道」は水窪の史跡のひとつ。

古の交易の様子を垣間見る「塩の道」は水窪の史跡のひとつ。

塩の道を登り切ると、小さな公園にたどり着き、高台から水窪の町を一望することができました。
かつての行商人たちもこの斜面を乗り越えて、山々を眺めたのでしょうか。

古の交易の様子を垣間見る「塩の道」は水窪の史跡のひとつ。

行き交う人や風景は変わっても、かつての姿を残す「塩の道」。
交易とそれに集う人々の様子を垣間見ることができる史跡として歴史好きな方におすすめのスポットです。
水窪を訪れた際には、ぜひ歩いてみてくださいね。